武蔵野市

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むさしのし ウィキデータを編集
武蔵野市
武蔵野市旗
1928年11月制定
武蔵野市章
1928年11月制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
市町村コード 13203-9
法人番号 8000020132039 ウィキデータを編集
面積 10.98km2
総人口 150,249[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 13,684人/km2
隣接自治体 杉並区練馬区三鷹市小金井市西東京市
市の木 コブシ
ケヤキ
ハナミズキ
市の花 ハギ
ムラサキ
ムラサキハナナ
ツツジ
ジンチョウゲ
スイセン
フヨウ
アサガオ
キク
武蔵野市役所
市長 小美濃安弘
所在地 180-8777
東京都武蔵野市緑町二丁目2番28号
北緯35度43分04秒 東経139度33分58秒 / 北緯35.71772度 東経139.56606度 / 35.71772; 139.56606座標: 北緯35度43分04秒 東経139度33分58秒 / 北緯35.71772度 東経139.56606度 / 35.71772; 139.56606
武蔵野市
外部リンク 公式ウェブサイト

武蔵野市位置図

― 区 / ― 市 / ― 町・村

地図
ウィキプロジェクト

武蔵野市(むさしのし)は、東京都多摩地域東部に位置する。人口は約15万人。1947年(昭和22年)市制施行。

概要[編集]

特色[編集]

武蔵野市は、早くから市民参加を掲げ、住民生活に根ざした数々の独自事業を行ってきた[1][2][3]。 それらの中には全国の自治体のモデルケースとなる施策も多く、しばしば革新自治体と評される[4]

これは、財政基盤が堅牢で国や都からの補助金を受けずに独自事業を行うことができること[5]、市内には学者専門家が多く住民の意識が高いことが背景として挙げられる[6][7][8]。1987年に、武蔵野市に「全国で初めての単独型デイサービスセンター」が完成したのも、「市民がデイサービスセンターの為に土地(吉祥寺北町)を寄付して頂いたお陰だ」と、当時市長であった土屋正忠は語っている。土屋は感謝の言葉も述べている[9]。また、土屋正忠に拠ると「この施設がより良い運営が出来ているのは、所長に職員、ボランティアスタッフのお陰だ」という[10]

武蔵野市では1973年に全国に先駆けて「武蔵野市地域生活環境指標」を作成した。この指標の意味するところは、分かりにくい行政資料を市民に判りやすくすることであった。また行政資料だけでは、市民参加による市の長期計画づくりに不足しているものが多いということで、当時武蔵野市長期計画策定に参加した佐藤竺(成蹊大学教授)や松下圭一(法政大学教授)と西尾勝(東京大学教授)の三人の提唱により環境指標が作成されている。 この頃になると各地方自治体は環境指標の必要性を認め「地域環境図」「コミュニティカルテ」「地区カルテ」などその名称は多様であるが普及し、そしてこの頃、生活基礎指標を公開した自治体もかなりの数にのぼり、今日ではほとんどの自治体で当該自治体の「基本構想」「基本計画」などと合わせて、それらを作成・公開している。また、個別の指標として緑地計画地域計画・地域施設計画、住宅計画、景観計画などに関わるものもある。しかし、70年代初頭 当時において本来市民と行政と一体となって作成され、公開されていたものは武蔵野市のほかまだ少なかった。

その後ムーバスでしられるコミュニティバス、子育て支援政策「0123」[11]リバースモーゲージ[12][13][14] 等を全国の自治体に先駆けて導入。

地理[編集]

武蔵野市域のランドサット
武蔵野市の街並み

多摩地区の東端に位置し、区部と境界を接している。 武蔵野台地に在り、合併時の新自治体名の由来となっている。

市内の交通空白地域をコミュニティバスムーバス」が走る。 タクシー営業区域が23区+武蔵野+三鷹で構成されている。 三鷹市、小金井市、西東京市と4市で、文化芸術スポーツ施設や保養施設など、公共施設の共同利用を行っている。

歴史[編集]

年表[編集]

前史[編集]

古来 武蔵国に在り現在の武蔵野市に当たる区域は多磨郡内の一部に属した。

  • 慶応4年67月1868年) - 吉祥寺西窪関前の4箇村に武蔵知県事が派遣される。
  • 明治2年(1869年) - 4箇村が品川県の管下に置かれる。
  • 明治4年(1871年) - 吉祥寺村と西窪村は東京府に、関前村と境村は入間県に編入。
  • 明治5年(1872年) - 4箇村が神奈川県に編入される。
  • 1889年(明治22年)
    • 4月1日 - 4箇村と井口新田飛地(現在の境浄水場付近[15])が一体となり、武蔵野村が成立する。神奈川県北多摩郡武蔵野村。
    • 初代村長に三井謙太郎が就任。
    • 4月11日 - 甲武鉄道の新宿駅 - 立川駅間開通と同時に境駅(現在の武蔵境駅)が開業。
    • 12月30日 - 甲武鉄道の吉祥寺駅が開業。
  • 1893年(明治26年) - 東京府の管下に入る。東京府北多摩郡武蔵野村。
  • 1898年(明治31年) - 池田八右衛門が武蔵野村長に就任。
  • 1899年(明治32年) - 井野久太郎が武蔵野村長に就任。
  • 1900年(明治33年) - 秋本喜七が武蔵野村長に就任。
  • 1913年(大正2年) - 高橋亀三郎が武蔵野村長に就任。
  • 1921年(大正10年) - 秋本録之助が武蔵野村長に就任。
  • 1928年(昭和3年) - 町制施行。東京府北多摩郡武蔵野町
  • 1934年(昭和9年) - 帝都電鉄(現・京王電鉄井の頭線)吉祥寺駅が開業。
  • 1939年(昭和14年) - 秋本敏男が武蔵野町長に就任。
  • 1941年(昭和16年) - 井野米次郎が武蔵野町長に就任。
  • 1946年(昭和21年) - 町長の井野米次郎が死去。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 荒井源吉が武蔵野町長に就任。

武蔵野市小史[編集]

航空写真に見る武蔵野市。上方に見えるのが武蔵野競技場と東京グリーンパーク球場(1956年撮影)
  • 1947年(昭和22年)11月3日 - 武蔵野市市制施行。人口約63,000人。荒井源吉が初代市長に就任。初の市議会開会。
  • 1948年(昭和23年)
    • 2月 - 学校給食開始。小学校のみであり、中学校は未だに実施されていない。
    • 4月 - ごみの収集開始。
    • 6月 - 市報創刊号発行。
  • 1949年(昭和24年) - 市営運動場を開設。
  • 1950年(昭和25年)10月 - 屎尿のくみ取り開始。
  • 1951年(昭和26年) - 東京グリーンパーク球場が完成。
  • 1952年(昭和27年) - 水道下水道事業着工。武蔵野市教育委員会発足。
  • 1953年(昭和28年)6月 - 市営プール開設。
  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年) - 特殊学級開設(一小二小大野田小)。ふじみ病棟(伝染病棟:武蔵野赤十字病院内)完成。三鷹市との合併案審議の市議会が開催され、市議会は可決したが、三鷹市議会が1票差で否決して合併は実現しなかった[16]
  • 1956年(昭和31年) - 吉祥寺ポンプ場完成(下水)。東京グリーンパーク球場が解体。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 人口が10万人を越える。
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月 - 緑町公団住宅完成。
    • 9月 - 台風22号(狩野川台風)による水害(浸水730戸)。
  • 1959年(昭和34年) - 第二浄水場完成、給水開始。桜堤公団住宅が完成。
  • 1960年(昭和35年) - 成蹊通り完成。
  • 1961年(昭和36年) - 武蔵境駅南口開設。国民年金制度施行。
  • 1962年(昭和37年) - 都市計画道路中町新道完成。全市域の町名整理施行。「むさしの市民の歌」制定。
  • 1963年(昭和38年)
    • 5月 - 後藤喜八郎が市長に就任。
    • 6月 - 学童保育開始。
    • 7月 - 市立図書館開館(鉄筋化)。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1966年(昭和41年)
    • 6月 - 市営幼児プールが完成。
    • 7月 - 福祉会館完成。
  • 1967年(昭和42年) - 全国初の児童扶養手当制度開始。学校給食共同調理場(現・桜堤共同調理場)事業開始。富士高原学園が完成。
  • 1968年(昭和43年) - 市営西久保住宅が完成。武蔵野市開発公社が設立。10月、武蔵野市民会館開館。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1970年(昭和45年) - 「公害排除都市」宣言。
  • 1971年(昭和46年) - 吉祥寺大通りが開通。
    • 9月 - 武蔵野市基本構想・長期計画(昭和46 - 55年度)を策定。
    • 10月 - 宅地開発等に関する指導要綱制定(マンション規制)。
    • 11月 - 吉祥寺FFビルB棟(伊勢丹吉祥寺店)オープン(翌年A棟がオープン)。
  • 1972年(昭和47年) - 富山県利賀村と姉妹都市盟約(現南砺市と友好都市)。市営関前住宅完成。
    • 7-8月 - 第1回むさしのジャンボリー実施(静岡県立朝霧野外活動センターキャンプ場)。
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月 - 米軍施設グリーンパークが日本に返還される。
    • 4月 - 「武蔵野市民緑の憲章」制定。
    • 5月 - 障害児学級(べこのこ学級、いぶき学級)開設。
  • 1974年(昭和49年) - 武蔵野市土地開発公社が設立。
  • 1975年(昭和50年)2月 - グリーンパーク跡地を公園にする都市計画決定。
  • 1976年(昭和51年)7月 - 市立コミュニティセンター条例が施行される。境南コミセンが開館。
  • 1977年(昭和52年)
    • 8月 - けやき橋通り立体交差完成。
    • 11月 - 吉祥寺大通り全線開通。
  • 1979年(昭和54年)
    • 3月 - 全市立小中学校校舎の鉄筋化完成。
    • 4月 - 武蔵境駅南口駅前広場が完成。
    • 5月 - 藤元政信が市長に就任。
  • 1980年(昭和55年)8月 - 武蔵野市役所新庁舎が完成。
  • 1981年(昭和56年) - 第二期基本構想・長期計画(昭和56 - 67年度)を策定。
  • 1982年(昭和57年) - 「非核都市」宣言。西部図書館開館。武蔵野市少年自然の村(現武蔵野市自然の村)開設(長野県川上村)。
  • 1983年(昭和58年) - 武蔵野市文化事業団発足。
    • 5月 - 土屋正忠が市長に就任。土屋正忠は、市職員の高額退職金を是正した[17]
  • 1984年(昭和59年) - 武蔵野芸能劇場、市民文化会館が開館。土屋正忠は、文化事業団を設立し、武蔵野市の文化行政の基盤を整備した[17]。クリーンセンターが稼動。
  • 1986年(昭和61年)8月 - 玉川上水清流が復活する。
  • 1987年(昭和62年)年10月 - 「ひとり暮らしや心身に障害のある高齢者のデイケア施設」として北町高齢者センターと「全市民が安い費用で健康チェックができる保健センター」を開設した。これらの施設は、市民に待ち望まれていた。また、この当時、武蔵野市は、財政力指数トップクラスとなっていた[17]。吉祥寺図書館が開館。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月 - 吉祥寺駅北口駅前広場が完成。この広場は、初代市長の荒井源吉が取り組んで以来の懸案であった[17]
    • 9月 - 第1回国際オルガンコンクール開催。
  • 1989年(平成元年)
  • 1990年(平成2年) - 吉祥寺・武蔵境市政センター設置。
  • 1991年(平成3年) - 中央市政センターを設置する。
    • 10月 - 武蔵野市は、「武蔵境駅南北自由通路」を開通。「駅周辺の整備」を進めた[17]
  • 1992年(平成4年) - 子ども協会を設立。新しい子育て支援施設「0123吉祥寺」を開設[17]
    • 10月 - 学校施設開放条例を制定し、学校を地域に開かれた教育施設と位置付けた[17]
  • 1993年(平成5年) - 第三期基本構想・長期計画(平成5 - 16年度)を策定。
    • 4月 - 第1回武蔵野桜まつり開催(武蔵野市民公園)。
    • 6月 - 「社会福祉法人が運営する障害者総合センター」を設立。「デイサービスや社会活動センターなどの機能を持つ高齢者総合センター」を開設[17]
  • 1994年(平成6年) - 自然との共生に配慮した関前公園を開園[17]
  • 1995年(平成7年)
    • 3月 - 千川小学校の新校舎が落成。この新校舎は、未来を見据えた設計がされている[17]
    • 3月28日 - エフエムむさしの(むさしのFM、78.2 MHz)開局。
    • 4月 - 新・中央図書館が開館[17]
    • 6月 - 新自転車条例を制定。自転車の放置禁止区域の指定などを定めた[17]
    • 11月 - コミュニティバス「ムーバス」の運行が開始された。ムーバスは、ワンコインのコミュニティバスとして運行された[17]
  • 1996年(平成8年)
    • 1月、菅直人が厚生大臣に就任した後、厚生省から「国民に2兆2000億円の負担を求める介護保険制度」案が提示された。これを受け、武蔵野市は対策チームを結成。市長の土屋正忠は、学者や福祉施設の経営者、民生委員に協力をお願いし、懇談会を発足させる[18]
    • 6月 - 桜堤ケアハウスが開設。この施設は、高齢者も学生も利用できる施設である[17]
    • 7月 - 特別養護老人ホームゆとりえを開設。この老人ホームは、個室中心で市の社会福祉法人の運営する[17]武蔵野三鷹ケーブルテレビ開局。
    • 9月 - 武蔵境駅北口再開発ビル「スイング」オープン[17]。全国市長会に市長が出席し、この場において「国民に2兆2000億円の負担を求める介護保険制度」案について議論がされた。市長の土屋正忠は、この介護保険制度案の是正を求める提案を行った[19]
  • 1997年(平成9年) - 『むさしのリメイク - 武蔵野市緑の基本計画』策定。この計画は、緑被率の回復をめざす緑の基本計画である[17]
    • 9月 -市長の土屋正忠は、96年に「厚生省から出された介護保険制度案の問題点」を指摘したブックレットを、全国の市町村長や都知事、国会議員に送った。全国の市長の呼びかけで、慎重な審議が要請された。12月、介護保険制度案は、修正された上で可決されたという[20]
  • 1999年(平成11年)
    • 1月 - 市長の土屋正忠は、在宅介護サービスの充実を図るため、「テンミリオンハウス構想」を提案。「使われていない市の所有地」や「寄付された建物」を活用し、福祉施設をつくる計画を立案。土屋正忠は「高齢者が誰でも歩いて行ける距離」に福祉施設をつくることを考えていた[21]。テンミリオンハウスの第1号(川路さんち)を開設[17]
    • 3月 - JR中央本線(三鷹駅~立川駅間)連続立体交差の工事が着工[22]
    • 10月 - 市環境方針を策定[17]
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - 市役所がISO14001認証を取得。子育て支援に関する施策を円滑に進めるために、地域児童育成基本計画を策定[17]
    • 7月 - むさしのみたか市民テレビ局放送配信開始
    • 10月 - レモンキャブの運行を開始。レモンキャブは、高齢者や障害者の移送サービスである[17]
  • 2001年(平成13年) - 仙川緑地に清流復活。武蔵野三鷹ケーブルテレビコミュニティーチャンネルでの放送開始。
    • 5月 - 子育て支援施設「0123はらっぱ」を開設[17]
    • 6月 - 商工会館を改築[17]
    • 10月 - アンテナショップ「麦わら帽子」オープン[23]
    • 11月 - テンミリオンハウスあおばを開設[17]
防災安全センター(市役所西棟)
  • 2002年(平成14年)
    • 2月 - 武蔵野市立吉祥寺美術館オープン[17]
    • 10月 - 「武蔵野市生活安全条例」、「武蔵野市つきまとい勧誘行為の防止及び路上宣伝行為等の適正化に関する条例」が施行される[17]
  • 2003年(平成15年) - 武蔵野三鷹地区保健衛生組合(武三保)が解散。
    • 4月 - 古瀬公園内に「松露庵」オープン。
  • 2004年(平成16年) - 吉祥寺駅周辺を路上禁煙地区に指定。家庭ごみの有料化・戸別収集が開始される。第四期基本構想・長期計画(平成17 - 26年度)を策定。
  • 2005年(平成17年) - 吉祥寺シアターオープン。三鷹駅北口、武蔵境駅周辺を路上禁煙地区に指定。
  • 2007年(平成19年)
    • 5月 - 市役所西棟増築完成、防災安全センターが開設。
    • 11月3日 - 市制施行60周年記念式典が執り行われる。
  • 2009年(平成21年)
  • 2011年 (平成23年)
  • 2017年(平成29年)
  • 2023年(令和5年)

町名[編集]

  • 吉祥寺地域 - 吉祥寺東町、吉祥寺南町、御殿山、吉祥寺本町、吉祥寺北町
  • 中央地域 - 中町、西久保、緑町、八幡町
  • 武蔵境地域 - 関前、境、境南町、桜堤

武蔵野市では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。

吉祥寺市政センター管内[編集]

吉祥寺市政センター管内(21町丁)
町名 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
吉祥寺東町きちじょうじひがしちょう一丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺東町1の全部
吉祥寺東町二丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺東町2の全部
吉祥寺東町三丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺東町3の全部
吉祥寺東町四丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺東町4の全部
吉祥寺南町きちじょうじみなみちょう一丁目 1962年4月1日 1964年9月1日 吉祥寺南町1の全部
吉祥寺南町二丁目 1962年4月1日 1964年9月1日 吉祥寺南町2の全部
吉祥寺南町三丁目 1962年4月1日 1964年9月1日 吉祥寺南町3の全部
吉祥寺南町四丁目 1962年4月1日 1964年9月1日 吉祥寺南町4の全部
吉祥寺南町五丁目 1962年4月1日 1964年9月1日 吉祥寺南町5の全部
吉祥寺本町きちじょうじほんちょう一丁目 1962年4月1日 1964年2月1日 吉祥寺本町1の全部
吉祥寺本町二丁目 1962年4月1日 1964年2月1日 吉祥寺本町2の全部
吉祥寺本町三丁目 1962年4月1日 1964年2月1日 吉祥寺本町3の全部
吉祥寺本町四丁目 1962年4月1日 1964年2月1日 吉祥寺本町4の全部
吉祥寺北町きちじょうじきたまち一丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺北町1の全部
吉祥寺北町二丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺北町2の全部
吉祥寺北町三丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺北町3の全部
吉祥寺北町四丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺北町4の全部
吉祥寺北町五丁目 1962年4月1日 1963年5月1日 吉祥寺北町5の全部
御殿山ごてんやま一丁目 1962年4月1日 1964年5月1日 御殿山1の全部
御殿山二丁目 1962年4月1日 1964年5月1日 御殿山2の全部

中央市政センター管内[編集]

中央市政センター管内(13町丁)
町名 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
中町なかちょう一丁目 1962年4月1日 1963年9月1日 中町1の全部
中町二丁目 1962年4月1日 1963年9月1日 中町2の全部
中町三丁目 1962年4月1日 1963年9月1日 中町3の全部
西久保にしくぼ一丁目 1962年4月1日 1965年3月1日 西久保1の全部
西久保二丁目 1962年4月1日 1965年3月1日 西久保2の全部
西久保三丁目 1962年4月1日 1965年3月1日 西久保3の全部
緑町みどりちょう一丁目 1962年4月1日 1965年4月1日 緑町1の全部
緑町二丁目 1962年4月1日 1965年4月1日 緑町2の全部
緑町三丁目 1962年4月1日 1965年4月1日 緑町3の全部
八幡町やはたちょう一丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 八幡町1の全部
八幡町二丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 八幡町2の全部
八幡町三丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 八幡町3の全部
八幡町四丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 八幡町4の全部

武蔵境市政センター管内[編集]

武蔵境市政センター管内(18町丁)
町名 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
関前せきまえ一丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 関前1の全部
関前二丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 関前2の全部
関前三丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 関前3の全部
関前四丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 関前4の全部
関前五丁目 1962年4月1日 1966年9月1日 関前5の全部
さかい一丁目 1962年4月1日 1965年9月1日 境1の全部
境二丁目 1962年4月1日 1965年9月1日 境2の全部
境三丁目 1962年4月1日 1965年9月1日 境3の全部
境四丁目 1962年4月1日 1965年9月1日 境4の全部
境五丁目 1962年4月1日 1965年9月1日 境5の全部
境南町きょうなんちょう一丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 境南町1の全部
境南町二丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 境南町2の全部
境南町三丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 境南町3の全部
境南町四丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 境南町4の全部
境南町五丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 境南町5の全部
桜堤さくらづつみ一丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 桜堤1の全部
桜堤二丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 桜堤2の全部
桜堤三丁目 1962年4月1日 1966年4月1日 桜堤3の全部

人口[編集]

武蔵野市と全国の年齢別人口分布(2005年) 武蔵野市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 武蔵野市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

武蔵野市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


昼夜間人口[編集]

2005年時点の夜間人口(居住者)は137,513人であるが、市外からの通勤者と通学者および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は154,448人で、昼は夜の1.123倍の人口になる。通勤者・通学者で見ると、市内から市外へ出る通勤者は43,049人、市外から市内へ入る通勤者は49,933人と、通勤者ではの流入が流出よりやや多い程度であるが、市内から市外に出る通学者は7,820人、市外から市内へ入る通学者は17,871人と、通学者では流入が流出の2倍以上多くなっている[25]

広域行政[編集]

市長・議会[編集]

市長[編集]

  • 市長 - 小美濃 安弘(おみの やすひろ) - 2023年(令和5年)12月24日当選(無所属)。任期満了日は2027年(令和9年)12月23日。
  • 副市長 - 伊藤 英穂(いとう ひでほ) - 2022年(令和4年)4月1日就任。任期満了日は2026年(令和8年)3月31日。
  • 副市長 - 恩田 秀樹(おんだ ひでき) - 2021年(令和3年)12月12日就任。任期満了日は2025年(令和7年)12月11日。

歴代首長[編集]

村長[編集]
  • 三井謙太郎 1889年5月〜1898年?月
  • 池田八右衛門 1898年?月〜1899年?月
  • 井野久太郎 1899年?月〜1900年5月
  • 秋本喜七 1900年5月〜1913年7月
  • 高橋亀三郎 1913年7月〜1921年7月
  • 秋本録之助 1921年8月〜1928年10月
町長[編集]
  • 秋本録之助 1928年11月〜1939年2月
  • 秋本敏男 1939年4月〜1941年4月
  • 井野米次郎 1941年5月〜1946年11月
  • 荒井源吉 1947年4月〜1947年11月

市長[編集]

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 荒井源吉 1947年昭和22年)11月3日 1963年(昭和38年)4月 武蔵野町の市制施行に伴い、1947年(昭和22年)11月2日に武蔵野町長を退任し、翌11月3日、武蔵野市長に就任する。在任期間は4期15年6か月。
2 後藤喜八郎 1963年(昭和38年)5月 1979年(昭和54年)4月 在任期間は4期16年。
3 藤元政信 1979年(昭和54年)5月 1983年(昭和58年)4月 在任期間は1期4年。
4 土屋正忠 1983年(昭和58年)5月 2005年平成17年)8月 在任期間は6期22年4か月。6期目の任期満了を待たず、衆議院選挙立候補に向けて辞任。
5 邑上守正 2005年(平成17年)10月9日 2017年(平成29年)10月8日 在任期間は3期12年。
6 松下玲子 2017年(平成29年)10月9日 2023年(令和5年)11月30日 在任期間は2期6年1か月。2期目の任期満了を待たず、衆議院選挙立候補に向けて辞任。
7 小美濃安弘 2023年(令和5年)12月25日 (現職) 1期目。任期満了日は2027年(令和9年)12月。

武蔵野市議会[編集]

東京都議会[編集]

2021年東京都議会議員選挙
  • 選挙区:武蔵野市選挙区
  • 定数:1人
  • 任期:2021年7月23日 - 2025年7月22日
  • 投票日:2021年7月4日
  • 当日有権者数:122,844人
  • 投票率:47.62%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
五十嵐衣里 37 立憲民主党 26,878票
鈴木邦和 32 都民ファーストの会 14,751票
土屋ゆう子 51 自由民主党 14,706票
遠藤史啓 35 テレビ改革党 1,229票
2017年東京都議会議員選挙
  • 選挙区:武蔵野市選挙区
  • 定数:1人
  • 投票日:2017年7月2日
  • 当日有権者数:120,732人
  • 投票率:54.28%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
鈴木邦和 28 都民ファーストの会 27,515票
松下玲子 46 民進党 22,493票
島崎義司 51 自由民主党 14,443票

衆議院[編集]

  • 選挙区:東京18区 (武蔵野市・小金井市府中市
  • 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
  • 投票日:2021年10月31日
  • 当日有権者数:444,924人
  • 投票率:59.86%
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
菅直人 75 立憲民主党 122,091票
比当 長島昭久 59 自由民主党 115,881票
子安正美 71 無所属 21,151票

公共機関[編集]

武蔵野警察署
武蔵野警察署
武蔵野消防署
武蔵野消防署

検察庁[編集]

警察[編集]

消防[編集]

医療[編集]

市内の医療機関の多くは「武蔵野市医師会」に所属している。

休日・夜間における診療は下記に挙げる救急指定病院のほか、輪番制にて地域の病院が担当する。[26]

東京都の二次医療圏として、武蔵野市のほか、三鷹市、府中市、調布市、小金井市、狛江市を含む、北多摩南部保健医療圏に属する。[27]

救急指定病院[編集]

市内に所在する救急告示医療機関として、以下の5病院が指定されている。[26][28]

二次救急[編集]
  • 吉祥寺南病院
  • 武蔵野陽和会病院
  • 森本病院
  • 吉方病院
二次救急及び三次救急[編集]
同じ二次医療圏内に所在する三次救急病院[編集]

北多摩南部保健医療圏内の三次救急病院として、以下の2病院がある。[29]

太字高度救命救急センターを表す。

医師会関連施設[編集]

  • 武蔵野市医師会館
  • 臨床検査センター
  • 武蔵野健康開事業団

上水道[編集]

市営水道をもつ。市内の井戸水と利根川水系から水資源機構が管理する武蔵水路を経由して供給される河川水を利用している。

給水は市町村の事業であるが、多摩地域では多くの自治体が東京都水道局に委託している。独自で行っているのは、武蔵野市と昭島市羽村市檜原村の4市村だけである。

市内にある境浄水場は東京都水道局のもので、本市の給水には直接は関与しない。

ゴミ処理[編集]

武蔵野市役所と野球場の間に、武蔵野市クリーンセンターがある。

2004年(平成16年)10月からゴミ出しは指定袋で行われるようになった。

郵政[編集]

裁判所[編集]

文化施設[編集]

公園[編集]

井の頭恩賜公園
武蔵野中央公園
武蔵野市にある公園(左:井の頭恩賜公園、右:武蔵野中央公園

図書館[編集]

中央図書館
吉祥寺図書館
武蔵野プレイス
左:中央図書館、中:吉祥寺図書館、右:武蔵野プレイス

スポーツ施設[編集]

総合体育館陸上競技場

その他[編集]

武蔵野市民文化会館
武蔵野公会堂
武蔵野市にあるホール(左:市民文化会館、右:公会堂)

住宅関連[編集]

大規模マンション[編集]

  • パークシティ武蔵野桜堤
  • 武蔵野タワーズスカイクロスタワー
  • 桜堤庭園フェイシア
  • 武蔵野ガレリアルーチェテラッツァ
  • 武蔵野タワーズスカイゲートタワー
  • プラウドシティ武蔵野三鷹フロントコート
  • 桜堤庭園テラス
  • 吉祥寺レジデンシア
  • デライトシティブレスコート
  • クラルテ武蔵野
  • シティテラス武蔵境
  • 吉祥寺御殿山ハウス
  • 武蔵野ビューハイツ
  • ルネ吉祥寺
  • テラス武蔵野中町
  • デライトシティサンライトコート
  • グローリオ吉祥寺本町
  • ザ・パークハウス武蔵野中町
  • ザ・パークハウス武蔵野
  • 武蔵野中町スカイハイツ
  • グローリア初穂武蔵境
  • グランプレオ武蔵野
  • 井の頭公園パークハウス吉祥寺南町
  • 武蔵野ガレリアヴェルデテラッツァ
  • 武蔵野コーポラス
  • 武蔵境スカイハイツ
  • イトーピア武蔵野ブランマーク
  • シティハウス吉祥寺北町
  • デライトシティ
  • ダイアパレス吉祥寺
  • クリオレミントンハウス武蔵野
  • 武蔵境ビューハイツ

住宅団地[編集]

  • サンヴァリエ桜堤(旧桜堤団地
  • パークシティ武蔵野桜堤 桜景邸
  • 武蔵野グリーンパーク - 武蔵野グリーンパーク野球場(東京スタディアム)跡
    • 武蔵野緑町パークタウン (旧住宅・都市整備公団)、建替え、1998年、旧武蔵野緑町団地、緑町、1957年)
    • 武蔵野団地(東京都建築局、東京都、準郊外団地、1954年)
    • 都営武蔵野緑町二丁目第2アパート(緑町、1997年)
    • 都営武蔵野緑町二丁目アパート(緑町、1985年-1989年)
    • 都営武蔵野アパート(緑町、1953年)
    • 都営武蔵野緑町二丁目第3アパート(緑町、2003年-2007年)
  • 吉祥寺野田北団地(吉祥寺北町 市街地住宅 賃貸57 1962年 現存 譲渡返還)
  • 都営吉祥寺北町一丁目アパート(吉祥寺北町、1983年)
  • 都営吉祥寺北町四丁目アパート(吉祥寺北町、1976年)
  • 都営吉祥寺北町四丁目第2アパート(吉祥寺北町、1977年)
  • 都営吉祥寺北町四丁目第3アパート(吉祥寺北町、1980年)
  • 都営吉祥寺北町四丁目第4アパート(吉祥寺北町、1987年)
  • 都営吉祥寺北町五丁目アパート(吉祥寺北町、1973年)
  • 都営吉祥寺東町四丁目アパート(吉祥寺東町、1994年-1996年)
  • 都営吉祥寺南町三丁目アパート(吉祥寺南町、1991年)
  • 都営境一丁目アパート(境、1981年)
  • 都営境二丁目アパート(境、1976年)
  • 都営境五丁目アパート(境、1978年-1982年)
  • 都営境南町一丁目アパート(境南町、1980年)
  • 都営境南町三丁目アパート(境南町、1974年)
  • 都営西久保一丁目アパート(西久保、1987年)
  • 都営西久保三丁目アパート(西久保、1968年-1969年)
  • 都営関前四丁目アパート(関前、1977年)
  • 都営武蔵野八幡町四丁目アパート(八幡町、1989年-1990年)

経済[編集]

産業[編集]

主な企業[編集]

横河電機本社
横河電機本社
モンテローザ本社
モンテローザ本社

教育[編集]

武蔵野市教育委員会では、みなみらんぼうが2000年11月から2012年10月まで委員を務めていた。

幼稚園[編集]

私立
  • 樫の実幼稚園(吉祥寺東町)
  • 武蔵野相愛幼稚園(吉祥寺南町)
  • すみれ幼稚園(吉祥寺本町)
  • 武蔵野中央幼稚園(吉祥寺北町)
  • 武蔵野中央第二幼稚園(吉祥寺北町)
  • けやき幼稚園(西久保)
  • 聖泉幼稚園(西久保)
  • みやま幼稚園(緑町)
  • 武蔵野東第一幼稚園(関前)
  • 武蔵野東第二幼稚園(関前)
  • 栄光乃園幼稚園(境)
  • 聖徳幼稚園(境南町)

認定こども園[編集]

  • 境こども園(境)

小学校[編集]

市立

第一小学校〜第五小学校は、便宜上「武蔵野第○小学校」と呼ぶことがある。

私立

中学校[編集]

都立
市立

本市の場合、正式名称は「武蔵野市立武蔵野第○中学校」ではなく「武蔵野市立第○中学校」となる。便宜上「武蔵野第○中学校」と呼ぶこともある。

私立

法政大学第一中学校は2007年度をもって共学制に移行、同時に三鷹市に移転。

高等学校[編集]

武蔵野北高等学校
都立
私立

法政大学第一高等学校は2007年度をもって共学制に移行、同時に三鷹市に移転。

大学[編集]

武蔵野地域学長懇談会 - 市と五つの大学(亜細亜大学、成蹊大学、東京女子大学、日本獣医生命科学大学、武蔵野大学)の連携で生涯学習事業、「武蔵野地域自由大学」「武蔵野市寄付講座」を開学・開設している。

専門学校[編集]

その他(各種学校、無認可校)[編集]

武蔵野美術学園

職業訓練[編集]

以下は、職業能力開発促進法に規定された職業能力開発校である。

都立
  • 東京都立多摩職業能力開発センター武蔵野校(旧武蔵野技術専門校)

教会[編集]

交通[編集]

吉祥寺駅
吉祥寺通り
ムーバス

鉄道[編集]

東日本旅客鉄道(JR東日本)
JC 中央線快速電車

三鷹駅の正式な所在地は三鷹市であるが、武蔵野市域に所在する北口駅前広場は武蔵野市が整備を行っている。[33]

JB 中央・総武緩行線
  • 吉祥寺駅 - 三鷹駅
京王電鉄
IN 井の頭線
  • 吉祥寺駅
西武鉄道
多摩川線
  • 武蔵境駅

道路[編集]

バス路線[編集]

観光[編集]

主な年中行事[編集]

武蔵野桜まつり(写真は2007年)
時期 行事名 会場
1 5日または6日 消防団出初式 武蔵野中央公園
成人の日 未来をひらくはたちのつどい(成人式 武蔵野市民文化会館
2 下旬 武蔵境ジャズセッション スイングホール
3 中旬 吉祥寺アニメフェスティバル 吉祥寺各所
4 第1日曜日 武蔵野桜まつり むさしの市民公園
4・5 4月下旬 - 5月上旬
ゴールデンウィーク
吉祥寺ウエルカムキャンペーン 吉祥寺全域
吉祥寺音楽祭
6 上旬 市民と<水>のふれあい広場 第1・2浄水場
武蔵境舞祭 武蔵境駅前
7 日曜日(不定、1回) 市民皆泳デー 武蔵野プール
中旬 かいぼり 関前公園トンボ池
7・8 7月中旬 - 8月下旬 としょかんこどもまつり 中央図書館・吉祥寺図書館・武蔵野プレイス
むさしのジャンボリー 武蔵野市立自然の村(長野県川上村
8 下旬 総合防災訓練
9 第2土・日曜日 吉祥寺秋まつり 吉祥寺駅
9・10 9月下旬 - 11月初旬 市民文化祭
市民体育祭 陸上競技場総合体育館・野球場など各体育競技施設
10 武蔵野地域五大学共同講演会
上旬 吉祥寺アニメワンダーランド 吉祥寺全域
体育の日 市民スポーツフェスティバル 陸上競技場・総合体育館
中旬 シルバースポーツ大会 陸上競技場
吉祥寺薪能 月窓寺
11 3日 イルミネーション点灯式 吉祥寺駅前広場
上旬 菊花展 むさしの市民公園
上旬 国際交流まつり スイングホール
第2日曜日 むさしの青空市 むさしの市民公園
中旬 子育てフェスティバル「あ・そ・ぼ」 スイングホール
下旬 落ち葉の感謝祭 クリーンセンター内広場
  • 市民スポーツフェスティバルは2008年までは9月第4日日曜日開催だったが、市民大運動会の廃止により、体育の日へ移行した。
  • 市議会定例会は市役所にて毎年3、6、9、12月の4回行われる。
  • 市内小中学校のセカンドスクールは5月中旬 - 6月中旬、10月中旬 - 11月中旬、土曜日を中心に行われる。
その他行事
  • 武蔵野市国際オルガンコンクール 4年毎
  • 武蔵野カイトフェスティバル(武蔵野中央公園、隔年8月)
過去にあった年中行事
  • 武蔵野まつり(1959 - 1999 7月最終土・日曜日、中央公園→横河電機グラウンド)
  • 市民大運動会(1990 - 2007 10月体育の日、陸上競技場)
  • むさしの中部ふれあいまつり(1999 - 2013 7月第2日曜日、むさしの市民公園)
  • むさしのスポルト2008(2008年10月13日、陸上競技場・総合体育館)

姉妹・友好都市[編集]

日本国内[編集]

武蔵野市は以下の9市町村を「友好都市」とし、武蔵野桜まつりなど催事での物産販売や、市民の相互派遣などの交流事業を行っている[34][35]。武蔵野市を軸とする10市町村の「武蔵野市交流市町村協議会」(1991年発足[36]、「武蔵野サミット」[37])の枠組みがあり[38]、持ち回りで会議を行っている[38]。2011年7月には武蔵野市交流市町村協議会において災害時の相互支援を明文化した「安曇野市サミット宣言」が採択された[36]。武蔵野市の中道通り商店街には、友好都市のアンテナショップ「麦わら帽子」が設けられている[39]

日本国外[編集]

「姉妹都市」と位置付けられている都市はない(財団法人自治体国際化協会の姉妹都市提携一覧表にも掲載がない[53]。同協会の「姉妹都市」の基準については姉妹都市を参照)が、青少年の海外派遣など各種国際交流事業が行われている[54]。国際交流・国際協力および在住外国人支援の組織として公益財団法人「武蔵野市国際交流協会」がある[55]。武蔵野市では交流事業先として以下の6都市を挙げている(表記は武蔵野市ウェブサイトによる)[54]

  • アメリカ合衆国の旗 ラボックアメリカ合衆国テキサス州
    1986年に武蔵野市から「ジュニア大使親善使節団」を派遣、以後相互に使節団を派遣し、青少年交流を行っている[56]
  • 大韓民国の旗 江東区大韓民国ソウル特別市
    1996年に江東区庁長らが武蔵野市を訪問、1997年に職員派遣研修協定締結。2000年には市民交流推進に関する協定を締結[57]。忠州市とともに、職員研修交流および青少年交流を相互に行っている。
  • 大韓民国の旗 忠州市(大韓民国忠清北道
    1996年に忠州市議会議員らが武蔵野市を訪問、1997年にソウル市江東区とともに職員派遣研修協定締結[57]
  • 中華人民共和国の旗 北京市中華人民共和国
    1988年に武蔵野市から「青年の翼親善使節団」を派遣。月壇中学(北京市西城区。日本語を第一外国語とする公立中学校である[58])などと交流をおこなうとともに、相互に青少年の派遣と受け入れを行っている[59]
  • ルーマニアの旗 ブラショフルーマニア
    武蔵野市に縁のあった曽我大介が、ブラショフ市の国立ジョルジュ・ディマ交響楽団 (ro:Filarmonica "Gheorghe Dima" din Brașovの指揮者を務めていた縁から、1992年より同交響楽団を招聘するなど交流がはじまる[60][61]。1998年には現地に交流拠点として「日本武蔵野交流センター」を設置(その後2003年に「日本武蔵野センター」に改称)[62][61]
  • ロシアの旗 ハバロフスクロシア連邦
    1987年、ハバロフスクを訪問した鳥類学者藤巻裕蔵に、同地の少年野鳥観察グループが日本との交流を提案。日本野鳥の会事務局を経て、武蔵野市の自然クラブ野鳥教室が紹介されて文通が始まる。1992年には青少年相互交流協定を締結[63]

地域放送[編集]

コミュニティチャンネル「J:COMチャンネル」(地デジ11ch)
  • 市政広報番組『むさしのシティーニュース
  • ライブカメラ - 吉祥寺駅北口、三鷹駅南口、武蔵境駅南口

劇団[編集]

スポーツチーム[編集]

出身者[編集]

政治・経済[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

スポーツ[編集]

アナウンサー[編集]

ゆかりの人物[編集]

居住者・元居住者など[編集]

政治[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

スポーツ[編集]

その他[編集]

ゆかりの作品[編集]

小説[編集]

漫画・アニメ・ゲーム[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

音楽[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 田村和寿(1977)「武蔵野市におけるコミュニティづくり―市民参加によるその経緯」『地方自治』第352号,pp.64-72
  2. ^ 浅野平八 (2017) /書誌『公民館はだれのもの?住民の学びを通して自治を築く公共空間』第六部 公民館をめぐる動向/日本公民館学会年報 / 14 巻
  3. ^ 金 今善(2014)自治体の紛争管理に関する政治・行政学的考察―杉並区と武蔵野市の一般廃棄物処理施設事例研究:社会技術研究論文集 11 巻 p. 55-69
  4. ^ 革新自治体ルポ--東京都・武蔵野市--豊かすぎる文教都市のジレンマ:月刊自由民主. 1975年2月号(3)(229) 自由民主党 編
  5. ^ 「富裕度」は浦安と武蔵野が5連覇 部門別「住みよさランキング2013」(下)加藤 千明 : 東洋経済 『CSR企業総覧』『米国会社四季報』編集部
  6. ^ 羽貝正美[他] (八王子市, 2006) 都市政策研究会議活動報告:まちづくり研究はちおうじ. (3)
  7. ^ 木下 剛(1979)ゴミ処理問題と住民意識(武蔵野市) (現代地方自治<総合特集シリーズ-8->) -- (苦悩する自治体(現地記者レポート))法学セミナ-増刊 総合特集シリーズ (8), p136-137,
  8. ^ 鈴木 沙雄(1972)武蔵野市 小市民的革新戦略は可能か--第三期後藤市政と住民意識の構造 (革新自治体を診断する(特集)) 市民 (7), 68-76,
  9. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、165-166頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  10. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、167-168頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  11. ^ 村田 晶子(2004)「子育て支援」政策の問題性-育児期の女性にとっての意味-:早稲田大学大学院文学研究科紀要.50 第1分冊, 哲学東洋哲学心理学社会学教育学
  12. ^ 谷口 聡(2009)わが国におけるリバースモーゲージの展開 産業研究(高崎経済大学附属研究所紀要)第45巻第1号
  13. ^ 西澤 俊雄(2014)各国のリバースモーゲージの歴史と制度的発展 中央大学経済研究所年報 第45号 pp.365-384
  14. ^ 我が国の本格的なリバース・モーゲージの普及に向けて
  15. ^ 季刊むさしの ナンバー114 2016年春号「武蔵野ヒストリー ルーツを探る 関前と境」”. 武蔵野市. 2021年8月6日閲覧。
  16. ^ [1][リンク切れ]
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 武蔵野市HP むさしの百年物語エピローグ そして未来へ(1983~2002)
  18. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、87-96頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  19. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、96頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  20. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、106頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  21. ^ 土屋正忠『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』日本経済新聞出版、1999年、174-175頁。ISBN 978-4-532-16322-8 
  22. ^ 東京都都市整備局HP JR中央本線(三鷹駅~立川駅間)他連続立体交差事業
  23. ^ 武蔵野市HP むさしのキッズページ アンテナショップ 麦わら帽子(ぼうし)
  24. ^ 東日本大震災・写真特集”. 2019年3月12日閲覧。
  25. ^ 東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行146 - 147ページ。国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含み、昼夜間人口には年齢不詳の人物は含まれていないので、双方の値は一致しない。
  26. ^ a b 武蔵野市役所. “休日・夜間の医療機関|武蔵野市公式ホームページ”. 武蔵野市公式ホームページ. 2020年9月20日閲覧。
  27. ^ 東京都における救急医療体制”. 東京都福祉保健局. 2020年9月20日閲覧。
  28. ^ 救急告示医療機関一覧(令和2年8月1日現在)”. 東京都福祉保健局. 2020年9月20日閲覧。
  29. ^ 東京都における救急医療体制(平成31年4月1日現在)”. 東京都福祉保健局. 2020年9月20日閲覧。
  30. ^ 【署名と保存会への入会】 旧赤星鉄馬邸、現在ナミュール・ノートルダム修道女会 見学会 | MM- Meet むさしの” (2019年11月28日). 2020年7月4日閲覧。
  31. ^ 東京)実業家・赤星鉄馬の旧邸を取得へ 武蔵野市:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年7月4日閲覧。
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  33. ^ 第3次武蔵野市市民交通計画”. 武蔵野市. 2017年1月9日閲覧。
  34. ^ 国内交流事業”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  35. ^ 国内友好都市紹介”. 武蔵野市. 2016年7月20日閲覧。
  36. ^ a b 交流都市トピックス 東京都武蔵野市との交流について”. 酒田市. 2016年7月20日閲覧。
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  41. ^ a b 東京都武蔵野市”. 南砺市友好交流協会. 2016年7月20日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]